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旧出納邸、雪印バター誕生の記念館、旧宇納牧場サイロ~北海道の歴史遺産【札幌市厚別区】

06歴史・地勢・史跡・仏閣
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札幌市厚別区上野幌にある「雪印種苗(株)」の敷地内には、昔の牧場で使われていた施設がいくつか残されています。

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旧出納家

この一帯では、かつて出納陽一という人が牧場「出納農場」を開いていました。

これは、「旧出納邸」と呼ばれており、ここに牧場を経営していた出納陽一が1925年(大正14年)に建てた自宅です。彼が酪農経営を学ぶために訪れたデンマークで目にした富豪の家がモデルといわれています。

「旧出納邸」は、「さっぽろ・ふるさと文化百選」にも選ばれています。

 

旧宇納牧場サイロ

旧宇納牧場サイロ

この「出納農場」には、後に豊平区菊水で牧場を開いていた宇都宮仙太郎という人物が経営参画し「宇納農場(宇納牧場)」となります。

この宇都宮仙太郎は、黒沢酉蔵や町村敬貴などとともに北海道酪農の歴史を語るうえで欠かせない人物で、雪印乳業の基盤を築いた人物として知られています。

 

雪印バター誕生の記念館

「宇納農場」を舞台に「北海道製酪販売組合」が1925年(大正14年)にバターの製造を開始、敷地内にある三角屋根の建物が「雪印バター誕生の記念館」として保存されています。

このとき、販売担当として、黒沢酉蔵の姿もありました。黒沢酉蔵とは、酪農学園大学の前身となる「北海道酪農義塾」を創設し、その後衆議院議員も務めた人物です。

当時、バターを作るのには、「ハンドチャーン」という木製の樽にハンドルをつけた装置を手回ししてバター粒を分離させていたそうです。

北海道製酪販売組合で、バターづくりを開始した当時に使われていたハンドチャーンは、「雪印メグミルク酪農と乳の歴史館」(札幌市東区)で保存・公開されています。

「雪印バター誕生の記念館」は、経済産業省の近代化産業遺産(北海道食品)に登録されています。

残念なことに、現在は、建物の老朽化のため公開されておらず、内部を見ることはできません。

 

雪印乳業へ

バターの製造が開始された翌年の1926年(大正15年)「北海道製酪販売組合」は翌年に、「北海道製酪販売組合連合会」に改組され、 新工場を苗穂地区に竣工、1950年(昭和25年)に「雪印乳業」として新発足します。この時に、私たちが見慣れている雪の結晶の「雪印マーク」が作られました。

いってみれば、この場所が「雪印」発祥の地なのですね。

※2009年、「雪印乳業」は、日本ミルクコミュニティと共同で、株式移転による共同持株会社「雪印メグミルク株式会社」を設立して経営統合。

 

住所・マップ

■「旧出納邸」、「雪印バター誕生の記念館」、「旧宇納牧場サイロ」
住所 北海道札幌市厚別区上野幌1条5丁目1-22

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