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昭和後期~平成の暴走族事情_道連傘下の龍悪莵死、荒れる信濃・もみじ台【札幌市厚別区】

06歴史・地勢・史跡・仏閣
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この記事では、札幌市厚別区における暴走族事情を札幌全体の流れとともに記述してみます。(2026.03.08記)

はじめに

1970年代から1990年代にかけて、日本各地で深夜の集団走行や騒音、時には抗争事件などがニュースを賑わせた「暴走族」。

札幌でも、多くのチーム・グループが誕生し、地域ごとに勢力を形成していました。中には暴力団へとつながるケースもあり、警察の取り締まりも年々強化されていきます。やがて、携帯電話やインターネットの普及、娯楽の多様化などにより、若者たちのエネルギーの行き場は、別の場所に移っていったようです。

この記事では、厚別区(1989年白石区から分区)における暴走族事情を、札幌全体の暴走族の歴史の中で見ていきます。

筆者は札幌育ちではなく、しかも厚別区に引っ越してきたのは平成に入ってからなので、実体験として語れないのですが、ネット上にある情報に加え、厚別育ちの方からも話を聞きながらまとめてみました。

事実と異なる部分がありましたら、ぜひコメント欄にてご指摘ください。

厚別・新札幌エリアに存在した暴走族

画像は生成AIによる創作です。

厚別区内(1989年までは白石区の一部)にかつて存在した暴走族としては、「龍悪莵死(たつおとし)」が有名で、「愛羅武勇(あいらぶゆう)」というチームも厚別エリアで存在感を持っていたと思われます。

龍悪莵死(たつおとし)

「龍悪莵死」は、白石区、豊平区、清田区などの市東部・南部を拠点とするチームが中核を成す「北海道連合(道連)」の傘下にあったとされています。

地理的に江別方面や清田方面への入り口にあたるため、他連合(特に「札狂連」など)の侵入を阻止する防波堤のような役割も担っていたとされています。

メンバーは主に、もみじ台エリアが中心だったと思われます。中学生も影響下にあり、単車(オートバイ)の免許を取得できない中学生が「厚別連合」を名乗り、平岡方面の中学校区に自転車で襲来したり、といった話も聞いたことがあります。

なお、「狂乱」、「ルパン」という厚別区内のチームも「道連」傘下だったという証言があります。

愛羅武勇(あいらぶゆう)

厚別エリアは、もともと「道連」の強力な地盤であり、「龍悪莵死」が幅を利かせていましたが、北区、東区を中心に活動していた「蝦夷連」の傘下の「「愛羅武勇(あいらぶゆう)」が勢力を拡大する過程でこのエリアに、食い込んできたようです。

つまり、「愛羅武勇」は、厚別発祥ではありませんが、国道12号や新さっぽろ周辺で連日のように「道連」側と派手な抗争を繰り広げていたとされ、新札幌バスターミナルやトラックステーションなどを集会場所としていたため、厚別エリアにおける存在感を増していったようです。

「まちBBS」の「札幌市厚別区スレ」への投稿によると、もみじ台方面は「道連」傘下の「龍悪菟死」、青葉地区は「蝦夷連」傘下の「愛羅武勇」、信濃方面には、両方がいたとされています。

暴走族は中学生にも影響を及ぼし、「信濃中学校は、暴力中学として悪名をとどろかせていた」という話が「まちBBS」に投稿されていました。

これらの時期は、1970年代後半から1980年代中ごろのことではないかと思われます。

1980年代後半になると、「道連」に対抗するチームが増え、勢力図は変わっていきます。

蛇足ですが、1984年に、「もみじ台中学校」と「信濃中学校」から分離して「厚別中学校」が誕生した際、移籍した生徒たちは“暴力的な空気から開放された”と安堵の様子だったと伝えられています。

札幌における暴走族勢力図

札幌における暴走族は、中央・西・南を拠点とする「札狂連(札幌狂走連盟)」、北・東を拠点とする「蝦夷蓮(蝦夷連合)」、そして白石・豊平・厚別を拠点とする「道連(北海道連合)」の三代連合が、互いに牽制・対立し合っていました。

「道連(北海道連合)」の時代

1970年代後半、札幌市内では、多くの暴走族が誕生していました。

この中に「龍悪菟死」があったと思われます。

豊平区・白石区周辺で活動していた「「紫陽花(あじさい)」というチームが中心となり、近隣チームを統合して「北海道連合(道連)」を形成。

「龍悪菟死」もその傘下に入ります。

1980年代に入ると、最大勢力であった「道連(北海道連合)」に対抗する勢力が次々と登場します。

1980年中ごろには、北区・東区エリアで誕生した「愛羅武勇」と豊平・清田地区の「狂乱」などが、「蝦夷連(蝦夷連合)」を形成。

厚別区(当時は白石区の一部)では、信濃・青葉地区のチームが所属していたといわれています。

しかし、「蝦夷連」は、勢力を拡大できず、「愛羅武勇」だけが残ったとされています。

「道連」の弱体化と「札狂連」の台頭

1980年代後半になると「道連」が弱体化していきます。一方で、「狂牙闘乱」が、南区、小樽、新札幌などに支部を作り、勢力を拡大、のちに「札狂連(札幌狂走連盟)」を形成することとなります。

このとき、新札幌支部として傘下に入った勢力はどのチームだったのでしょうか。

「龍悪菟死」がどうなったのか気になります。そして、勢力が伸び悩んだ「蝦夷連」=「愛羅武勇」も吸収されたのでしょうか?

やがて「狂牙闘乱」を中心に「札狂連(札幌狂走連盟)」が成立。「新札幌支部」も存在し、総勢100名以上であったといわれています。

一方、北区・東区を拠点としていた「キャッツアイ」は、これらに属さず、武闘派として恐れられていました。

勢力抗争の過激化と取り締まり強化

勢力抗争は、まるで暴力団抗争のような様相を呈してきます。

現在ネット上には、「道連」傘下のチームと「キャッツアイ」が乱闘となり、道連側の少年が刺殺されたとか、「札狂連」傘下の「早乙女会」のメンバーが「道連」傘下チームの少年を刺殺したとかいう情報が残されていますが、情報が断片的であり、正確に把握することはできませんでした。

1989年(平成元年)に、「札狂連」から100名近いメンバーが集結する中、「道連」傘下チームの18歳の少年が集団暴行により死亡したという事件は、警察の取り締まり強化のきっかけとして有名になっています。

いずれにしても、活動が過激化するにつれ、取り締まりが強化され、警察に解散を促されるなどして、暴走族は崩壊の道を歩むことになります。

北海道警察によると、道内の暴走族は昭和56年に66グループ(1,263人)を数えるピークを迎えましたが、平成元年の殺人事件を機に取り締まりが激化し、平成22年までには全ての主要グループが解散届を出すに至っているとされています。

まとめ

居酒屋、スナック、ラーメン店・・・歴史書には記録されない様々な地域の記録の一つとして、今回は「暴走族」を取り上げてみました。

ところで、暴走族がもたらした社会問題は決して美化されるべきものではありませんが、得体のしれない膨大なエネルギーや自己顕示欲は、反社会的な方向に向かいさえしなければ、たとえば芸能活動など、社会に受け入れられる可能性もあります。

それは、暴走族出身の芸能人が多いことでも分かります。宇梶剛士、的場浩司、氷室京介、哀川翔、飯島直子、土田晃之、大島優子、鈴木紗理奈、中居正広など、数えればキリがありません。

ちなみに、俳優でミュージシャンの沢向要士さんは、厚別区の「龍悪菟死」に所属していたとの話があります。(ただし、ネット上の情報であり、本人からの言及はありません)。

若い頃にしか持ち得ない、あふれるようなエネルギーがあります。かつてそれが夜の道路へ向かった時代もありました。
しかし、その力は本来、もっと大きな可能性を秘めているはずです。
現代の若者たちが、そのエネルギーを自分や社会をより良くする方向へと使っていくことを願いたいと思います。

なお、「蝦夷連」立ち上げ時に傘下に入ったとされていた「狂乱」は、その後消滅したとされていましたが、2018年に同名チームが報道されています。
参照リンク:今どき珍しく気合が入った暴走族が北海道で発見される!!(愛旧ジャパン)/2018年2月1日

【参照】
5ch◆◆北海道の暴走族3◆◆ ※アダルト広告が表示されますので、ご注意ください。

まちBBS「札幌市厚別区スレ Part44」

まちBBS「札幌市厚別区スレ Part57」

アルファポリス「北の大地で熱く生きていた男達。全国初暴走族殺人事件。」

暴走族などを許さない社会環境づくりの推進(北海道警察)

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